2011年9月5日月曜日

旧世界経綸を振り返って-1

この度の宇宙経綸は、旧世界経綸における世界基盤の最終段階を迎える時点で、本来その基盤を引き継ぎながら宇宙経綸に移行して行く神々の計画がありました。

しかしこれまで述べました様に、世界をリードして来た父系イスラエル民族型の世界経綸の中枢体制は、最終的には2000年前の失敗と同じ様な失敗を繰り返すこととなり、結果として世界基盤の全てを失った立場ではありますが、人類のカルマ清算の為の霊的基台が母系ヒッタイト民族型の女性たちにより成立することにより、宇宙経綸を何らの基盤も無いところからスタートするこの度の宇宙経綸となるのです。

今だから話せることなのですが、銀河宇宙12種族の遺伝子を持つ世界経綸を担うグループが夫々世界的な基盤を形成しながら、世界経綸を担うシンクロ体制として機能していたのですね。
主にフランシスコが関わりを持っていたのがローマ法皇に関わる長老司祭、そしてヨーロッパで最も伝統のある王室ファミリー、そして複数の新興宗教、そしてトップダウン方式で経綸を立ち上げるための旧丸十字体制であったように思います。

アッシジのフランシスコの伝統を継いだ故長老司祭を柱としてバチカンの裏体制が出来つつあったのであり、2000人の日本語が話せる司祭が50年の間に準備されておりました。故長老司祭は、前法皇のパウロ二世と同じイタリア出身で、法皇とは兄弟のような心情関係にあり、また宗教の垣根を越えて他宗教の皆様と交流をいつも深められておられる信仰深い方でありました。今思えばマザーテレサとツインソウルになる可能性のあったお方であったように思います。

フランシスコから観れば、そのお方こそ裏法皇として神が導かれておられた方であり、フランシスコ・ガブリエルのフランシスコは、その長老司祭が、そして日本皇室との親交の深い某ロイヤルファミリーがガブリエルと命名された洗礼名でした。しかし残念ながら長老司祭は数年前に病で他界されてしまうのです。

次に続く

感謝合掌

2011年9月2日金曜日

イエスから観た3人の女性たち-4

イエス30歳から33歳までの公生涯3年期間にイエスは多くのメッセージを語りましたが、その本質を最も多く受け止めていたのはマグダラのマリアではないかと思うのです。それではイエスと共にこの期間を歩んだマグダラのマリアの課題とは何だったのでしょうか。

結論から申せば、イエスの後継者的な存在であったマグダラのマリアは、イエスの愛のメッセージを数多く受ける中で、「人類は誰もが神の子として創造されている。」ことを真に理解すべきでした。確かにイエスは救い主メシアではあるのですが、ヤハウェの愛と許しの保護圏の中で誰もが「神の子」となる福音を、マグダラのマリアは多くの人々に伝えるべき使命者であったと思うのです。それはイエスご自身も望んでいたはずではなかったかと思うのです。

イエスから2000年の時代が去り、神の計画(経綸)は再び似た時代を迎えているのですが、キリスト教やユダヤ教を初めとする父系イスラエル民族の歴史的な課題を背負った者たちは、残念ながら同じような失敗を繰り返しているのです。これは真に残念なことであります。しかし、この度、父系イスラエル民族に代わり、母系ヒッタイト民族を柱とした神の経綸を担う女性たちが辛うじてそれらの課題を自らの課題として乗り越えて行くことで、父系イスラエル民族の歴史的な失敗を償い、救いの道を開いて行く救いと希望の時代を迎えることになるのです。

人類は、誰もが守護神の保護圏にある神の子として創造されているのであり、また神々は高度な宇宙生命体であることを理解することで観念的な領域にある宗教の壁を乗り越えて、イエスの十字架の救いを超えて行く恵みに満ちた時代を迎えているのです。

3人の女性たちの課題を克服することは、神の計画に関わる女性たち誰もが乗り越えて行くべき共通課題であり、また父系社会解放の大きな条件となるのであり、神々が直接に臨む新しい宇宙経綸の必須条件となるのです。


感謝合掌

2011年9月1日木曜日

イエスから観た3人の女性たち-3

それでは、マグダラのマリアとはどんな女性だったのでしょうか。

今まで、キリスト教では、貫通罪により石打の刑に処せられるところをイエスに助けられた女性がマグダラのマリアであるということになっています。しかしこの女性がマグダラのマリアであるとは聖書のどこにも記載されてはいないのです。長いこと彼女は「娼婦」であると解釈されてきたのですが、それは誤りであることをバチカンも1969年に認めています。


聖書では、マグダラのマリアは、イエスに「七つの悪霊を追い出された」ことでイエスの弟子となり、十字架後のイエスの霊的復活を最初に目撃した人と伝えられています。

結論から申しますと、マグダラのマリアは、イエスの心情を理解できる良き弟子であり、またそれ以上に良きパートナーとしての後継者的存在であるのです。聖書外典には、それらの証拠となる記述が多数記載されています。

イエスが処刑される時、男性の弟子たちは全てイエスのもとから去って行きましたが、母マリアとマグダラのマリアは、イエスを見守るようにイエスの傍に居りました。男性の弟子たちから見れば、マグダラのマリアは、当時の男尊女卑的時代には生意気で受け入れられ難い存在であり、聖書外典には、一番弟子と云われるペテロがマグダラのマリアを拒否する発言が多く記載されているのです。ですからペテロを初代教皇とするバチカンには、マグダラのマリアに対する誤解が根底にあっても不思議ではないのです。

このようにしてマグダラのマリアに対する理解は殆ど封印されて来た2000年の歴史があるのです。それではマグダラのマリアの役割は本来どのようなことだったのでしょうか。

本来は、イエスの実父ザカリアの妻エリザベツとイエスの母マリアが一体連携した土台の上で、イエスと共に居たマグダラのマリアは、イエスが語る神の計画をエリザベツとマリアにいつも伝えるべき役割があったのですね。エリザベツとマリアはその神意を受けて、当時、複数に分かれていたユダヤ教徒や神官を神の計画に導いて行く役割があったのです。しかし、肝心なエリザベツはマリアとイエスを受け入れることが出来ず、当初からマグダラのマリアはその役割に立つことが出来なかったのですね。

イエスは、エリザベツとマリアがなすべきであったこれらの使命が失敗することで、それまでの預言者エリアの復活体である洗礼ヨハネとザカリアに従う全ての基盤を失う事になるのです。結局イエスは、何ら土台の無い神から遠い異邦人を集めて最後の公生涯3年期間を歩むことになるのです。これらの隠された事情については、残念ながらキリスト教の世界では言及されてはおりません。

 
エリザベツとマリアの失敗により、イエスは、神から最も遠い異邦人を従えながら自ら十字架の道を行かざるを得ない(人類の罪への責任を自らの責任として背負う)、血と汗と涙の茨の道を歩まざるを得なくなるのですね。これらの事情を知っていたのがマグダラのマリアであり、イエスの唯一の慰めの存在であったのです。

・・・続く

感謝合掌